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⭕️親鸞聖人が歩まれた道(わたしもそうありたい)

2021年4月5日

五劫(ごこう)思惟(しゆい)の苗代に

兆載永劫(ちょうさいようごう)のしろをして

雑行自力(ぞうぎょうじりき)の草をとり

一念帰命(いちねんきみょう)の種おろし

念々相続(ねんねんそうぞく)の水ながし

往生(おうじょう)の秋になりぬれば

実りを見るこそうれしけれ

《親鸞聖人田植え歌》

🔴澄んだ青空、新緑まばゆい五月、今まさに田植えの時期です。
 人手を頼み作業する田植えは、一日でも先送りしても収穫に響くのです。
 お百姓さんにとっては、毎日お天気と睨めっこの気が抜けないのです。
 さて、親鸞聖人の教えを熱心に聞いていた「平太郎」さんは、このように
 忙しくされている村人たちに仏法(仏さまの教え、阿弥陀如来のお救い)を
 聞かせたいと思い、親鸞聖人を招き、田んぼに出てきた人に聞法(もんぼう)に
 誘います。
 しかし、「食べる物食べんと生きていけんじゃろう」との返事に平太郎は、
 (食べても死ぬんじゃぞ!)とチクリ。
 それでも村人は、心に余裕などないし、訳の分からない話などに耳をかさないで田んぼ作業
 に取り掛かるのでした。
 確かに平太郎の言う通りに、十分な食べ物があっても、悲しいことですが人は死んでいきます。
 誰であっても今夜かもしれないし明日かもしれないのです。
 しかし、ほとんどの人は[食べ物の確保が第一!]と話すら聞きません。

 必ず死に行くというのに、いつ終わるかも知れない命で何をすれば良いのでしょうか。
 その答えを平太郎さんは伝えずにはいられなかったのです。
 村人たちは、田植えに励みます。

 親鸞聖人は、村人の事情を知らせるや、裸足で田んぼに入られました。
 【聞きたい人が来るのを待っているのではなく、こちらから近づいていこう】のお気持ちからでした。

 一緒に田植えを手伝うことはできなくても、田植えが終わってしまえば村人は帰ってしまう。
 どうすれば、阿弥陀如来の本願を伝えることができるか。
 この田植え歌を歌いながら、村人たちと一緒に田植えをしていると、村人は不思議そうに尋ねた。
 すると親鸞聖人は、「これは田植えがはかどる歌だ。」と言われたそうです。
 村人たちはこの歌に引きつけられたそうです。

 しかしながら、これは阿弥陀如来の本願を伝える歌だったのです。

 村人「そりゃあ、何の歌で•••」
 親鸞聖人「これはねえ、田植えがはかどる歌なんですよ。」
 村人「そりゃあ、面白い。え〜っと、どんな歌でしたっけ」
 親鸞聖人「じゃあ今度は皆さんも一緒に歌いませんか?」

 慣れない田んぼ作業を、泥にまみれて手足をとられながら、仏も教えもわからない
 村人を本当のしあわせに導かんとご苦労されたのです。

これこそが私が今志している首都圏都市開教に身を投じているカナメです。
上手く人には説明できないけど、親鸞聖人が仏法のブの字にも興味を示そうとしない
村人にこちらに来てくれではなく、自ら村人たちの方へ入っていかれましたよね。
これこそが専従員がやるべきことだと思う。違うと言われても私はそう思いますし、そうします。

きっと親鸞聖人は鼻歌交じりに歌われていたのではないでしょうか。
ニコニコしながら•••ね。
イライラしたり、鬼みたいな👹顔していたら誰も近寄ってこないだろうし興味すら持たないよ。

言葉では『和顔愛語(わげんあいご)』を使うけど毎日これを実践している人おられますか⁉️
きっと知らないです。他人に言う前に自らが自然とやってみせたいけどね🤗
『田植え歌』メロディは知らないのですよ。
誰か知っておられたら教えてくださいませんか。