住職のブログ

どんなに嫌がらせしても負けないよ

2020/10/29 14:19
(色々暴露したいが略します)

いずれ必ず恩返しさせていただきますので好き放題仰ってくださいませ笑笑

実力的には仰るとおり落第なのでしょうね。
それくらいの自覚はあるのですよ笑

しかしながら、もう私の思慮はとうに超えてしまっていますからね。
動き出してしまったものは止められないよ。

僕を否定し嫌う輩も、形的であっても親鸞聖人のみ教えに遇っているはずです。
そこで親鸞聖人はどのようにおっしゃっておられるかお取り次ぎしましょう。
少し難しい言葉にはなりますが正しくお伝えするためです。ご容赦くださいね。

   南無阿弥陀仏(ナモアミダブツ)をとなふれば、

   十方無量(ジッポウムリョウ)の諸仏は、

   百重千重(ヒャクジュウセンジュウ)囲繞(イニョウ)して、

   よろこびまもりたまふなり。【親鸞聖人現世利益和讃(ゲンゼリヤクワサン)】


◉意味は、「お念仏を称える私を、あらゆる仏さまは、百重にも千重にも囲んで、喜び護ってくださっています。」

ここで忘れてはならないことは、私の都合の良いことだけが起こるのではありません。
お念仏をお称えさせていただいても、この私は老いる身であり、病気にもなれる身であり、必ず死んでいかねばならない身であります。

それでも、ひとりぼっちではありません。
いつも多くの仏さまたちがこの苦悩の私をそのまま抱きとめ、百重にも千重にも囲んで護っていてくださいます。
いやあ、安心ですよね。悪魔じゃなく真実の仏さまたちがこの私をガッチリ護っていてくれている。
 それを自覚していればこれほどの安心感は無いんじゃないでしょうか。

だというのにも関わらず、同じく仏さまを仰いで生きている人を虐めたり、嫌がらせをしている現実は、
いかに人間の欲望は真実なるものを撥ねつける力が強いのでしょうか。
恐ろしいものですね。

笑う門に福来る
いるま布教所は「和顔愛語(ワゲンアイゴ)」をモットーとしていますから負けないよ。

それに多くの仏さまたちがいつも護ってくださっていますから心配ありません。

いずれ、他者に嫌がらせをする愚かさに気づくはずです。たぶん、、、笑笑

人生の完成

2020/10/26 11:48
皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
生きているということは何かしら苦悩を抱えながらであります。
仏教を開かれたお釈迦さまは、人生は「苦」なり、とおっしゃっています。
苦しくていいのです。苦を抱えた中に自身の喜びは感じられるのですから。

さて先日、敬愛する師、福田康正先生からお電話をいただき本を出したから送ってあげたいから住所の
確認をしたいとご連絡いただきました。
バイブル的存在です。
『如来の仰せ』という冊子です。
この中から感銘を受けたものを皆さまにご紹介します。

厳しい言葉の中にも温もりある、そしてうなずけるもの。
しっかりお聞かせいただきましょう。

「無上涅槃」人生の完成
 やがて間もなく、苦の人生は終わります。終わるまで分を尽くすのです。
 人間、いや生命ある者には必ず終わりがあります。死があります。それが個人の救いでもあり、その種の救いでも
あるのです。死は涅槃です。
 生きている限り、煩悩具足の凡夫です。損だ得だ、勝った負けた、憎い可愛いの迷いから離れられません。
悩みも悲しみも続きます。この身体を抱えている限り、この身についた苦しみ、痛みも続きます。
だがそれも死んだら終わります。
 生きている限り続く苦しみも痛みも、悩みも悲しみも、私の自己中心の我執我欲の迷いの人生も、
死んだら終わります。しかし、迷いの人生は終わっても、私は終わりません。あなたも終わりません。
 私もあなたも、浄土に生まれ仏てたなって、子供や孫や、ご縁のあった人たちの上に、仏のはたらきとなって生きて行くのです。
 これを無上涅槃といいます。大涅槃とも言います。死は涅槃です。無上涅槃です。

 マンボウという魚は卵を三億個生むそうです。その三億個が全てマンボウの成魚になるとマンボウという種は滅びます。
 大多数は卵の時か幼魚の時に、他の魚のエサとなって死んでいく。それでマンボウという種が続いていくのです。
 
人間もそうです。
 生まれた人がみな死ななかったら、人間という種は滅びます。個体が死ぬことで、種が保たれているのです。
 私が死ぬことも他の役に立つのです。他のしあわせに役立っているのです。
 そして死をもって私ね迷いも終わるのです。我執我欲を断滅し、利他一筋の仏となって、有縁の人々の上に生きていくのです。
であればこそ、、、。

 人間は生きている限り、死にたくない。その思いを心の底に持ちながらも、人生の終わりが近づいてくると「やがて終わるなぁー」と、死も、、、。
 涅槃なる死が、無上涅槃が、大涅槃が静かに待たれるのです。寂(しず)かに願われるのです。
     2020年(令和2年)5月24日 釈 康正 記す

⭕️自然という世界はこういうもの。「じねん」を「しぜん」と読んでから意味合いが変わってしまいました。
 死にさえすれば「楽」になると思ってしまう方は相変わらず多いようですが、大きな間違いですよ。
 今、生きてしあわせを知らない人が死んだだけでしあわせに楽になることなど決してないのです。
 むしろ、死んでからも苦悩に埋没していくのです。
 なぜなら「遇うべきものに遇っていない」のですから。
 それをきちんと聞いておいてください。
 そのために生まれてきたのです。生きているのだから。
 人間という病を解決道はたった一つでありますがすぐ側にあるのです。
 

何のために生まれてきたのだろうか。

2020/10/08 15:05
「死ぬもよし、生きるもよし。生き死にの峠に立ちて唯、念仏をする」(梅原真隆 辞世)

「私たちは自分で自分を、毎日休むときに反省し、テストしなければなりません」

   1、真理に味方であっただろうか。

   2、一歩でも前進したであろうか。

   3、人々と協力を深めたであろうか。

   4、社会に奉仕できたであろうか。

   (自分自身を戒められた)


 ※悔いの多い人生かも知れません。そんなに思い通りに生きることはできないものです。
   でも自分らしく生きていくことはできるはずです。
   それは自分勝手に立ち振る舞うことではなく、自分のまわりにいる人にどれだけ真摯に向き合って
   生きていたかをたまには立ち止まって考えてみる。
   梅原先生の仰るこの4つの言葉を寝る前に、朝のお参りの際に考えるようにしています。
   できていなければ、今日はできるようにして行こうと自分に言い聞かせています。


   ⭕️わからなくても「意味はきっとある」
        何のために今日も生きていれるのか。生きていかねばならないことが。


   🟡「何のために生まれて、何のために生きるのか。わからないなんてそんなのは嫌だ!」(それ行け、アンパンマンのテーマ)


  みんなで考えてみませんか。
  偶然でも何となくでもない私の「今」のこの命。

エクスキューズミー、ハーイ!

2020/10/04 23:01
今年も早や3ヶ月を切りました。激動の慌ただしさと未曾有の感染症に生活様式もすっかり変わってしまいましたね。
それでも「いのち」を守る行動の前には待ったなしでした。
しかし人間はいつまでも、その緊張感の中では生きられないようです。
GO TOキャンペーンに踊らされて身の危険のリスクを冒してまで旅行へと足を運ぶ姿があります。
これも全て自己責任だということは肝に命じておきませんとなりませんね。
持病を抱える私はその勇気がありません。家族を守るため慎重な行動に努めます。

さて、実はとても不思議な出来事がありましたのでご紹介します。
都内のある場所へご法事へ向かいました。しばらく待っていたが来られない。
どうしたかな、と思いつつ待っていました。しかしやはり誰もまだ来ない。
何気なく予定表に目を落とすと時間を間違えていました。他の予定と勘違い。
あ〜情けない。年々物忘れは多くなっては来ましたがまたやってしまった。

ではまだ時間があるから所用を済まそうと着替えて歩き出しました。右に行こうか、左に行こうか。
ま、左へ行こう。しばらく歩くと前方に郵便局が見えた。あそこまで行こう!
信号待ちから横断歩道を渡る。ポストに投函して戻ろうとしたら後ろから小さな声が。
振り返ると年配の女性がおられました。その方はこの辺りに30年ほど住むが袈裟姿のお坊さんを見るのは初めて
と言われました。実は相談事がありネットを見たりお寺や仏壇屋さんへ足を運んで見たが良い対応をしていただけなかった。
何とかしたい!と思って悩んでいました。そうしたら貴方を見かけ思わず後をついていたのです。
実は5月に主人を亡くし冷静になれずに他宗の方に法名をつけていただきましたが実は広島県出身で浄土真宗なのです。
モヤモヤして何をどうすればいいかわからない。尋ねてもまともに相手にされない。
そんな中で私に出会ったのでした。申し訳なさそうに話される女性は突然ではありますがもし時間があれば自宅で仏壇の飾りなどを
見ていただけませんか?と言われました。
私はご法事を済ませば時間取れますよ、と言いましたら嬉しそうにではこれから買い物へ行くので夕方に来てもらえますか?
と言われました。快諾してしばらく時間調整して夕方ご自宅へ向かいました。
すると玄関先で立っておられました。

浄土真宗本願寺派の荘厳に整えて、簡単にお勤めいたしました。
その上で色々お話を聞かせていただきました。胸を撫で下ろすようにホッとされました。
やはり僧侶たる者、普段から布袍姿で街を歩くことには意味があるのですね。
女性も私が袈裟を身につけていなかったら声はかけていないからと言われました。
普段着の私は坊主頭だけどきっと僧侶には見えないかも知れません。
これだけ浄土真宗本願寺派のお寺があってネットで情報が溢れていても未だに悩んでおられる方が現実に
おられるのですね。都市部で開教することはまさにこのような場面をいかに大切にしていくかだと痛感しました。

最後には涙まで流されて感謝されていました。こちらが恐縮するほどに。
私の両親も広島県出身ですよ、と言いますと深い縁を感じましたと言われました。
不思議な出来事でした。ちょっとタイミングがズレていたら遇うことのない私たち。
それが遇えたということは、亡きご主人が、亡きご両親がきっと遇わせてくださったのだとお話ししました。
まさに「遠く宿縁をよろこべ」ですね。見えないはたらきがあればこその仏縁です。
また一人、大切な仏縁に遇わせていただきました。少しでもお手伝いをしてあげれたら、悲しみに寄り添い共感してあげたい。
そう思いながら家路につきました。

お墓についても広島県にはあるようですが子供さんは遠いから嫌だと言われているようです。
確かに若い時はいいかもしれませんが老いてからは苦痛となりやすく、それでもお参りしなくてはと悩むことになります。
可能な限りお近くに求められるように皆様にはお勧めいたします。
それから「宗派問わず」はきちんと説明、確認しておきませんとトラブルになりやすいですよ。
現実には霊園の母体宗派僧侶に限るという場所が多いそうです。

もし浄土真宗本願寺派の方で築地本願寺の納骨堂や合葬墓を求めたい、説明会に参加したいと言う方は是非、超法寺へご相談ください。
ご一緒に説明会に参加しますよ。手続きもご一緒にさせていただきます。

どんな些細なことでも一人で悩んでいないで超法寺にお電話、メールしてください。
精一杯お手伝いさせていただきますよ。
わからないことはわかる人に聞いて「楽」になりましょう。

タイトルは懐かしいスネークマンショーを知っている方はきっと爆笑するはず笑笑
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