住職のブログ

アミダとは

2020/09/13 18:49
あれほど激アツだった夏の暑さも台風と共に秋の装いを連れてきたようです。
皆さまにおかれてはいかがお過ごしでしょうか。お見舞い申しあげます。
私もコロナ感染拡大の影響で軒並み仕事が無くなり貯えも出尽くしていたので
人生最大の危機に怯える毎日でした。

開教の先輩から、辛い時、苦しい時ほどアミダさまのことを思って生きていきなさい!
と言われています。辛くても苦しくてもアミダさまはいつもわたしに寄り添っていてくださいます。
わたし一人を必ずしあわせにする、そのためにわたしはアミダとなったと常に寄り添いながら
叱咤激励し続けてくださいます。

奮い立たされながらここまできました。
「今の今、自分のことしか考えられないこのわたしを救いのど真ん中に置いていてくださいます」
どうでもいいアミダさまではないのですよ。
親と名乗っていてくださいますから自分勝手に生き、他者を思うことすら出来ない人を時間をかけて
少しずつ、少しずつ、仏に寄せてくださるのです。
人間って自分だけ正しくて他者を誹るような生き方しかできないもの。
それを責めもせず裁きもせず、受け止めて導いてくださいます。

ただそれを知らずに自分勝手に生きようとする愚かさは仏法聴聞の中にこそ知らされることだと思います。
意味のないことはないのです。
難しい言葉を並べてわかった気になっている浅はかな人間を否定はせずに、本当に少しずつ少しずつ疑わないように
そのまま受け止めてくれるようにはたらいていてくださるのです。

今の若者に、お念仏を、、、とか阿弥陀如来が、、、とか他力本願とか言うと「ウザい」と耳を塞がれてしまいます。
専門用語を使わずとも誰にでも聞いてもらえる、頷いてもらえる。そんな法話こそ今、僧侶がするべき伝道ではないでしょうか。
「母に抱かれて笑う幼子は、母の慈しみを信じて疑うことがない。慈愛に満ちた声を聞き、ただその胸に身をまかせ、
大いなる安心の中にある。」(浄土真宗のみ教え「聞くことは信心なり」)
幼子にも聞くことのできるもの。大事でしょう。掬いとる親がアミダさまという仏さまなのです。
 
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