住職のブログ

私たち人間にとって本当に大切なもの

2020/04/28 16:28
皆さまお変わりありませんでしょうか?僕は何とか感染せず奮闘しています。
多くの有名芸能人が感染し私たちに感染は気をつけてもなるしなればこれだけ苦しいものだと教えてくださっています。
それでも人間というものは自分勝手なモノで自分は大丈夫とかニュースでの感染者情報に一喜一憂して行動されています。
未だに検査もできずに自宅待機を余儀なくされていたり、PCR検査で2度陰性となっても再度陽性となる方もいたりします。
ということは知らず知らずのうちに感染者と身近に接しているかもしれない怖さを体感しているかもしれません。
それでも自分は大丈夫だと思ってしまいます。
我慢週間だというのに医療体制の不十分な離島へ旅行しようとしている方が数万人もいるというのは恐怖です。
どれだけ自分勝手で他人の迷惑など感じさえもできない愚か者がこの国には多くおられることが悲しいです。

自分がなる分は自己責任で済まされるでしょうが、家族や見知らぬ人に感染させてしまう危険性があるというのに。
モラルなど通用しない。どこでもすき勝手に喫煙する方未だによく見かけるのと同じ論理でしょうか?
そんなことを思いつつ今日も生きています。

さて私たち人間にとって最も大切なものとは何でしょうか?

それは他でもない自分自身です。

自分自身が心豊かに、もっと品格を高めるように常に努める必要があります。
そこにこそ人間として生きている意味があります。
自分勝手に生きようとする者には日頃よりの生活態度、習慣にこそあると思います。
それは「仏様を拝む中からのみ」生まれてくると思います。
無宗教が当たり前の昨今。
核家族化が常となった今、ご先祖も欲望のままに扱われています。

仏様を仰いでこそ知らされることかもしれません。

私自身がより素晴らしい人生を歩むためには自分勝手な生き方ではいけません。

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人さまは、
「お念仏に生きよ。
 阿弥陀如来さまのみ教えをしっかりと聞きなさい。
 阿弥陀如来さまのみ教えにしたがって人生を歩みなさい。」

仏法など聞いてどうなる。

聞いて見なきゃわかりません。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」(ひかりといのちきわみなき あみだほとけをおがまなん)
礼拝の姿です。

あらゆる人々をお救いくださる阿弥陀さまのお言葉にしたがって、わたし親鸞は苦しみ悩み、不安に満ちたこの人生を生きていきます。
皆さんも私親鸞と一緒に阿弥陀さまを拝みましょう。阿弥陀さまのおっしゃるとおりにしたら、まちがいのない人生を歩むことができます。

阿弥陀如来のお言葉は、わたしにまかせなさい。きっと苦悩のないさとりの浄土に生まれさせてみせますよ。

お任せしていくことができたらこの身のまま苦悩を抱えたまま阿弥陀さまが私の人生をご一緒してくださいます。
生きていくことの喜びや悲しみもご一緒くださる阿弥陀如来さまを心の灯火としてこの感染症の不安を共に乗り越えていきましょう。

不安ばかりではありますがみんなで力を合わせてこそきっと乗り越えていけると思います。
だって先人たちは危機的状況を乗り越えてこられたのですから。
今こうして生きているのにはとっても素晴らしい意味があるのですから。

本当に大切なもの、、、。
それは意外と身近にあるんじゃないかな。
南無阿弥陀仏
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コロナウイルスよりも怖いもの

2020/04/04 21:13
皆さまこんばんは。不安な毎日ですよね。お見舞い申し上げます。
今日ついに東京都での感染者が1日で100人を越えました。
そう遠くないうちに外出禁止令が出されるでしょう。
マスク配布に文句を言っている前に準備できることは今のうちにやっておきませんか?
今ならパニックにより行列に並ぶことも食料が手に入らずに右往左往することもない。

ただ、間違っても人の噂に振り回されることはやめましょう。
だってティッシュの買い占め必要でしたか?
今後もし別に災害が起こったりしたらきっと水や保存食、バッテリーが不足するでしょう。
これくらいは普段から最低限備蓄しておきたいですね。
地震は忘れた頃にやってくるって言うじゃないですか。
水道が止まったらどうしますか?
これからどんどん暑くなりますよ。電気が止まったらどうしますか?
政府に対して不平不満をぶつける前に自身が準備をして置くことはできるんじゃないかな。

テレビをつければいつも画面の中で優しく微笑む志村けんさんがもういない。
当たり前だった光景が当たり前などないよと教えてくれます。
当たり前なのは縁さえ整えば私もいつでも死んでいかないとならないことです。
待ったなしです。
コロナウイルス感染の疑いがあったとしても検査すらなかなかしてもらえない。
その間にもどんどん症状は悪くなります。実際に入院した時にはもう手の施しようがない
そんなことになってもおかしくない。
それだけではありません。コロナウイルス感染者は最後の別れもできない。棺の中に姿を見ることすら
叶わない。火葬してお骨になってからじゃないと対面できないなんて。
とても考えられないけれどこれが現実となってしまうのです。
葬儀関係者も感染リスクがありますので葬儀そのものができなくなるかもしれません。
お坊さんもこれでは仕事も無くなる。
もちろん収入も無くなりますね。
どうするんだろうか。ウチのような体力のないお寺からどんどん無くなってしまうのです。
今までのお寺の論理は全く役に立たなくなるでしょうね。
本当に信頼できるお坊さんだけにニーズが出ていくのかもしれません。
形だけのお坊さん、安いだけでいい、、、。そんな昨今の流れは見直す必要があるはずです。

この悲しみ苦しみに寄り添ってくれるお坊さん。
いつでも相談に乗ってくれるお坊さん。
家族のような安心感があるお坊さん。

こういう世相の中ではきっとまやかしが増えるでしょうが、身近な存在のお坊さんこそ
必要になっていければいいように思うのです。
皆さまと共に歩んでいくお坊さん。
これが超法寺の歩み方であります。

コロナウイルス感染よりも恐ろしいもの。
それは私は死んだらどうなるのかがわからない、そんな生き方をしているあなたです。
「死ねば仏」は嘘ですよ。

人間は仏になるようには生きていませんから。
ここを問わない。気にならない。
死んだら終わり?
死ねば楽になる?いえ、なりませんよ。

せめてここをきちんと解決しておきませんか?

コロナウイルス感染も怖いです。
でも決して避けられない「死」
この解決をした上で生きてみませんか?

お手伝いさせてください。
仏法聴聞する中でこそ解決することができます。

南無阿弥陀仏。
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