住職のブログ

「弥陀をたのむ」はこちらからお願いすることではありません。

2020/03/11 16:52
「弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたることなり」
(蓮如上人御一代記聞書」註釈版1263ページ

「弥陀をたのむ」とは、阿弥陀仏を信ずることであって、『御文章』をよむと、「たすけたまえとたのむ」
というように用いられています。
つまり阿弥陀仏のおたすけ(救済)を信ずることであって、信ずるとは、すべてを捨ててまかせきることです。

この場合、
すべてを捨てるとは、自己のいかなる行為も知識も、さらに自己の信仰すらも捨てることわさしています。

「身をまるめる」とは、身をまかせるということであって、自己のすべてを投げ出してまかせきるという意味です。

(中略)

弥陀を信ずるとは、南無阿弥陀仏に自己のすべてをまかせきっていることをいうのです。
そこには自己のはからいは無用なのです。
一切を捨てて弥陀、つまり南無阿弥陀仏にまかせきる、それが信であり、念仏の行にほかなりません。

「やさしい法話4」蓮如上人に聞く 瓜生津隆真(本願寺出版社)より

※本日14時46分18秒から9年前を思い出しながら正信偈をお勤めさせていただきました。
あれからよくもここまで生きてこれました。私の歩む道には阿弥陀さまがご一緒くださいます。
今何をするべきかをたずねながらまた今日を生きてまいります。南無阿弥陀仏
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