住職のブログ

自分だけは間違っていない?

2020/01/24 01:22
令和初めてのお正月からもう早3週間がすぎ例年通りの日々が過ぎています。
そしてニュースを見ていても相変わらずの自分勝手な事故、事件が報道されています。
今や普通になった<煽り運転>は日常的になっています。
それどころか逆煽り運転なるものが登場!前の車がノロノロ運転して後続を煽ると言う。
何がそんなの不満なのでしょうか。

人間の怒りはそんなに長続きしないとも言われます。一説には「6秒」ガマンすればいいそうです。
それなのに煽り運転が後を立たないのは「キレやすい」からなのでしょうか。
若い人ばかりではなく、むしろ年配の方のキレやすい姿や、挨拶をしても知らんぷりする光景を目の当たりにします。
60代以上の方のキレたことでの事件をニュースで見る機会が多いです。

昔はよく「切れ者」決断が速く物事を処理する頭の良い人の代名詞だったけど、今は「堪忍袋の緒が切れる」のキレる
だそうですね。相手の言葉を理解するのが面倒だと言ってキレていく。野球で外国人投手がキレるのと同じで言葉がわからないから
イライラする。相手とコミニケーションを取るのが面倒だからキレるそうです。
ちょっと話せばわかり合えるのにもったいないですね。ましてやそれで傷つけたりすれば取り返しのつかない事態になると言うのに。

され先人の言葉に「忍をもって鎧となす」とあります。
南インドの龍樹菩薩という人の言葉です。(150〜250頃)浄土真宗七高僧の第一祖、インド名ナーガールジュナ。
小乗仏教から大乗仏教に転じ空思想を説いた中観派の祖。大乗仏教の教学の基礎を確立された人です。
この言葉は『大智度論』にあります。
「忍」は忍耐で、忍辱とも言います。この後は「禅定をもって弓となし、智慧をもって箭となし、そと魔軍をやぶり、うち煩悩の賊をほろぼす」と続きます。忍耐は禅定や智慧とともに身を守る武器であるというのです。それによって外からの誘惑や内からの迷いに打ち勝つことができるというのです。「キレて」しまうと後で取り返しのつかないことになりうるので気をつけたいですね。
最近は皆さんドライブレコーダーを装着していますから。
そうドライブレコーダーってこっちの愚痴や文句などの声もしっかり録音されますので警察に提出すると思わぬ恥ずかしい自分の音声を聞かされることも理解しておきませんとなりませんね。
自分は間違いないって思っているかもしれませんが思いの外やらかしているものですよ笑笑

英語に「有難う」という言葉はありません。

2020/01/07 20:28
令和初の正月が終わりました。皆さまにはどのような年末年始をお過ごしだったことでしょうか。
昨年ご縁をいただきました全ての方に感謝しつつ本年も何卒、愚かで未熟な私にご指導、ご教導ください。
さて、新年を迎えるにあたりいつも思うことがあります。
『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」(一休禅師)
正月早々縁起が悪い、、、と叱られそうですが。
生きているとはいつも「死」と隣り合わせの私ですから。
何かあればとかは一切関係ありません。
若いとか元気とか、老いているからとか、病気だからとか。全く関係ありません。
一休禅師の言葉は明確にあらわされています。皆さまも味わってみていただきたいのです。

さて、タイトルの話ですがどう思われましたか?!
サンキューという言葉があるじゃないか!と言われる方もあるでしょう。
しかしながら事実として「有難う」という正確な表現する意味を伝える言葉は英語にはありません。
「有難う」と「サンキュー」はたまたま同じ場面で使われるだけで意味は全く違うのです。
私も最近知ったのですが、日本語の「有難う」は「有ることが難しい」という意味で、
「あなたが私にしてくださったご親切はざらにあるようなものじゃない」という意味なのだそうです。
そこまで考えて初めて「私はあなたに感謝します」という意味の英語「サンキュー」に通じる。
普段から当たり前のように使っている「有難う」にはものすごい意味があったのですね。

仏教では、インドのガンジス川の砂の数ほどの多くの仏さま(諸仏)がお浄土に生まれることを勧めている言葉として、
『そもそも人として生まれることは難しく、仏のお出ましになる世に生まれることも難しい。
その下で信心の智慧を得ることはさらに難しい。もし教えを聞くことができたなら、努め励んでさとりを求めるがよい。
教えを聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそ私のまことの善き友である。
だからさとりを求める心を起こすがよい。たとえ世界中が火の海になったとしても、ひるまず進み、教えを聞くがよい。
そうすれば必ず仏のさとりを完成して、広く迷いの人々を救うであろう。』『浄土三部経(現代語版)』82〜83項

人間として生まれたことの有り難さ、仏陀の教えに遇うことの有り難さが述べられています。
そもそも人として生まれて来なければ仏法にも遇うことができなかったのです。

今年が明けてまだ1週間ほどだというのに既に「人間に生まれた喜び」を忘れてしまっている様が見受けられますね。
実に悲しいことです。今年一年も色々なことがあるでしょう。
どんなに良くないことがないように神仏に願っても、私のこの命が無常である以上、ある中を生きていくしかありません。
しかしながら、仏さまの願いを聞くならば煩悩を抱えながらも温かな大慈悲を仰いで生きていける喜びがあるのです。
それを私自身が実践して、今年もお伝えしていこうと思います。
何卒よろしくお願い致します。

是非、超法寺へお参りください。きっと笑顔のあなたになるお手伝いをさせていただけると思いますよ。
合掌念仏。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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