住職のブログ

掬する(きくする)

2019/12/20 18:33
皆さま、いよいよ今年も残りわずかです。1年の片付けに明け暮れる毎日です。
長生きしていますと捨てられないものがやたらと蓄積されていきます。
ここへ引っ越しして1度も見ない、触れない、開けないもの。ありますよね。
口では「誕生日より命日が近くなった」などと言うわりには整理ができない愚か者です。
今年は一気に大掃除に明け暮れております。書類はだいぶ処分できましたが、服が大量にあります。
メルカリにとも思ったのですが面倒くさがり屋の典型ですのできっと、、、。
謎の小袋80袋〜🎵
さて、皆さまは掬するということご存知でしょうか。
中国の禅僧、智愚の書かれた「虚堂録(こどうろく」の言葉です。
「掬する」とは「両手ですくいとる」の意です。
『水を掬すれば月は手に在り、花を弄すれば香り衣に満つ。』
「弄(ろう)する」とは「もてあそぶ」の意です。
水を両手ですくいとると天上のお月さんは手の中の水に姿を宿し、花をいつももてあそんでいると
花の香りがその人の衣に染みつく。
阿弥陀さまは天上の月が手の中の水に姿を現すように、お念仏申す人に宿ってお念仏の声となってその姿現してくださいます。
そうしてこの世にある間は何かにつけて「おかげさま」と喜ぶ相となり朝晩のお礼のおつとめ、仏法聴聞を心がける人生と転じ、
仏とならせていただく「種」となってくださるのです。

若いとか元気だとか言い訳をする前に、今しか確かなものはありませんから「お念仏申す」私になっておくことが最優先にして
いただくことが何よりも大事で大切なことであります。
人間として命をいただけたのですからこれだけは済ませておきましょう。
そうしないと尊い命を奪っても悔いることも恥じることも涙することも知ることなく、万歳三唱をしてしまうお粗末な私と
なってしまうのです。私の命が大事ということは私以外の命も同じように大事であるのです。
『僕らはみんな生きている。生きているから歌うんだ。僕らはみんな生きている。生きているからかなしいんだ。
手の平を太陽にすかしてみれば、まっかにながれる僕の血潮(ちしお)。ミミズだってオケラだってアメンボだって、
みんなみんな生きているんだ友だちなんだ』(手の平を太陽に)
きっと小学生時分に大きな声で歌ったはずなのに。大人になるとなぜ忘れちゃうんだろうか。
大人ならザ・イエローモンキーズの『JAM』を歌ってみてほしい。

阿弥陀さまの慈悲心に遇うとは誰かを責めて悲しませるためにあるんじゃないのですよ。
カッコだけの仏教徒になってはならないのです。生き方を阿弥陀さまに寄せていくことが浄土真宗の教えに出遇うこと
なのだから。お念仏申す人にならせていただくと生き方が変わるのです。変わらされるのですよ。
聞く機会があればぜひ聞いておいてください。合掌念仏。南無阿弥陀仏
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初めてご講師をお招きしました

2019/12/04 10:39
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。お見舞い申し上げます。
早いもので激動の平成から令和への移り変わりも過ぎてしまえば
何事もなかったような日々であります。
ただ変わるのは、私自身が誕生日より命日がまた近くなったという
現実ではないでしょうか。世の賑わいに振り回されずに今日一日を
確かな歩みとしたいものですね。

さて、先月28日に超法寺「宗祖報恩講」が無事に勤まりました。
ご講師にはご案内の通りに築地本願寺王子布教所専従員の大江和正氏。
私より6つも歳下ではありますがキャリアは雲の上の存在です。
優しくも力強いお言葉で「後生の一大事」についてお取り次ぎくださいました。

ご講師の法話に耳を傾ける皆様は柔らかな表情とは裏腹に実に真剣に耳を傾けて
おられました。親鸞聖人が九十年の生涯をかけてお伝えくださいましたお念仏の
歩み、確かさを言葉巧みにお聞かせくださいました。
聞いておかねば人間として命を授かったことの意味を見失うことになります。

仏教の目的は「後生の一大事に始まり、後生の一大事に終わる」
是非、まだお聞きしておられない方には当寺まで足をお運びください。
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