住職のブログ

まだ死んではなりません

2019/08/19 22:00
最近もあちこちで聞きます。「死んだらおしまい。死んだらつまらない」と。
本当にそうなのでしょうか。いやいやそんなことはありませんよ。
死ぬのは素晴らしいのです。
なぜ?そう思われますか?
だって生きているのは私の役目だからですよ。私が果たさなきゃならない「業」なのだから。
「業」とは、なすべきこと。

私自身、お寺の長男として歩んできて寺院後継となるべく、京都で長く学ばせていただき
多くを身につけて実家(寺)へ戻り父(住職)と共に30年、内13年を副住職として、
門信徒教化してきたのに、まさかまさかの副住職退任、寺院退職、実家を出て今どきは大変厳しい
と言われていた首都圏都市開教へ身を投じることになりました。
たくさんの人から馬、鹿と言われました。厳しい現実に打ちのめされながら何度諦めかけたことか。

それでもこれが私の果たすべき道であったのです。
だから後ろは振り向かず前を向いて力の限り私の役目を果たしていきます。
たった一度の人生だもの。

人間は死ぬまで死なない!
何かは残せるはずだから。

「死にたきゃ死ね、この身体
   ワリャ死んでもワシャ死なん。
   生きて参るナモアミダ仏」(浅原才市)

今日も念仏の中に生もよし死もよし。

だから自分の果たさねばならぬ業を果たすまでは生き抜かねばならないのです。
しんどくても歯を食いしばり生きていかねばならないのです。
生きていけばその答えは明らかになるのだから。
それを知るまでに自らを放棄したら勿体ないですからね。

生きていきましょうよ。

「この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば
   浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」(親鸞聖人ご消息  聖典P785)

人間の生きる道

2019/08/17 02:22
残暑お見舞い申し上げます。
台風が来ましたのであれほど暑かったことが嘘のようになっていくのでしょうね。
僕は短い夏を満喫してもらってます。
さて、相変わらずのむ身勝手な生き方がワイドショーを賑わしています。情け無いことが
わからずに生きていますね。
日々のニュースは私にとっては関係ないことではありません。
そんな生き方をしたらこうなることを教えてくれているのです。
それなのに自分は間違いない。他人が間違っていると好き勝手にふれ振る舞うことがしっぺ返しとなり悲しみの底に堕ちるのでしょう。
改めて人間の生き方の危うさは、真実なる「さとり」から願い続けられています。
いつ何時にそれに気付かされるのか?されないのか。改めて考えてみたいですね。
さて、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が人生を師の法然聖人に尋ねられたときに『和語灯録』のお言葉を聞いて従ったそうです。
そのお言葉をご紹介致します。
「人間は、いつでも念仏申せるような状態をつくって暮らせ。聖(僧)としてもうせなければ妻帯して申せ。妻帯して申せなければ聖(僧)で申せ。一つの場所にとどまって申せなければ、さすらいの旅をしながら申せ。旅で申せなければ家に居て申せ。自分で衣食をととのえて申せなければ他人に衣食をととのえてもらって申せ。他人に衣食をととのえてもらった衣食を身にして申せなければ、自分で衣食をととのえて申せ。一人で申せなければ友達仲間と申せ。
人間が念仏を申せるような状態にするためにこそ、衣食住があるのだ。」
どんなに仏縁に遇わせていただいても、お念仏なの中に身を置かなければ意味がないということでしょう。
お念仏がない中で日暮を過ごすから争いが絶えないのだと改めて感じました。
「人は皆、裁判官。他人は有罪、自分は無罪」
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