住職のブログ

アミダとは

2020/09/13 18:49
あれほど激アツだった夏の暑さも台風と共に秋の装いを連れてきたようです。
皆さまにおかれてはいかがお過ごしでしょうか。お見舞い申しあげます。
私もコロナ感染拡大の影響で軒並み仕事が無くなり貯えも出尽くしていたので
人生最大の危機に怯える毎日でした。

開教の先輩から、辛い時、苦しい時ほどアミダさまのことを思って生きていきなさい!
と言われています。辛くても苦しくてもアミダさまはいつもわたしに寄り添っていてくださいます。
わたし一人を必ずしあわせにする、そのためにわたしはアミダとなったと常に寄り添いながら
叱咤激励し続けてくださいます。

奮い立たされながらここまできました。
「今の今、自分のことしか考えられないこのわたしを救いのど真ん中に置いていてくださいます」
どうでもいいアミダさまではないのですよ。
親と名乗っていてくださいますから自分勝手に生き、他者を思うことすら出来ない人を時間をかけて
少しずつ、少しずつ、仏に寄せてくださるのです。
人間って自分だけ正しくて他者を誹るような生き方しかできないもの。
それを責めもせず裁きもせず、受け止めて導いてくださいます。

ただそれを知らずに自分勝手に生きようとする愚かさは仏法聴聞の中にこそ知らされることだと思います。
意味のないことはないのです。
難しい言葉を並べてわかった気になっている浅はかな人間を否定はせずに、本当に少しずつ少しずつ疑わないように
そのまま受け止めてくれるようにはたらいていてくださるのです。

今の若者に、お念仏を、、、とか阿弥陀如来が、、、とか他力本願とか言うと「ウザい」と耳を塞がれてしまいます。
専門用語を使わずとも誰にでも聞いてもらえる、頷いてもらえる。そんな法話こそ今、僧侶がするべき伝道ではないでしょうか。
「母に抱かれて笑う幼子は、母の慈しみを信じて疑うことがない。慈愛に満ちた声を聞き、ただその胸に身をまかせ、
大いなる安心の中にある。」(浄土真宗のみ教え「聞くことは信心なり」)
幼子にも聞くことのできるもの。大事でしょう。掬いとる親がアミダさまという仏さまなのです。
 

夏だからこそ、やってほしい健康法

2020/08/18 15:29
皆さまこんにちは。毎日暑いですね。
ちょっと動くだけでも大量の汗が!

脱水症状と熱中症には十分お気をつけくださいませ。

さて、私は一度強烈な通風を経験しています。
話には聞いていた半端ない足の激痛。
立ち上がれない。立っても杖なしでは歩けない。

またこの時期は便秘にもなりやすいですよね。

この2つの症状に共通するもの、それは「水不足」です。
体内の水分が足りないことで引き起こされます。

心配な方に是非ぜひやっていただきたいこと。
朝起きてすぐ「白湯」をコップ一杯飲んでください。
「水」でもいいですが、水なら「常温」で。

冷たい水は身体を冷やしてしまうため、冷えた場所に血液ぐ集まることで
体調不良の原因になるそうですよ。
夏場は極力、体温を下げすぎないようにする。
体温に近い飲み物を飲むことで体調不良を防ぐことができる。

こまめに水分補給することで体調管理することができて、熱中症予防にも
なりますから是非実践してみてください。

便秘に悩んでいる方に水以外で食べると良いものを紹介。
「バナナ」と「納豆」のコンビは半端なく最強!

朝バナナ、夜バナナ。
朝納豆、夜納豆。
一回でもかなりいい感じ。

納豆に私は朝はエクストラバージンオイルを入れ、夜は黒酢を入れている。
就寝中は「血栓」ができやすいため予防になります。
また大きなバナナ一本サイズの便が(笑)
流れないこともある(爆笑)

ためしてくださいね。

また外出時には必ず帽子が傘をさして歩きたいものです。
過度な紫外線を浴びるのは体調不良になります。
熱中症対策にも大事ですよ。

新型コロナウィルス感染だけ気をつけていても夏対策を怠りますと
いけませんよ。油断は禁物です。

どうぞ夏本番を満喫しながらも体調管理にも気をつけて過ごして
いただくよう願っていますよ。

ご参考になれば幸甚です。

称名、、、南無阿弥陀仏

 

お布施はお気持ちで、、、は不親切。

2020/08/14 23:20
盂蘭盆参りで夏の師走ですね。
毎日猛暑とゲリラ豪雨で大変ですが皆さま不要不急お忘れじゃない?
自己都合をあまりに優先していますとまた恐怖の緊急事態宣言が出ますよ?

もうそんなに給付金などもらえないですよ。

一度経験したのですから学習したいものですが、当たり前の大渋滞には驚いています。
無茶な運転であちこち悲惨な事故でこれまた大渋滞。

ハイブリッド車は速いから危ないですよ。
自動ブレーキ装着車にしませんか⁈
僕は自動ブレーキ装着車にしていますよ。

さて、施主の方から良く質問される[お布施]
「幾らすればいい⁈」
「お布施は料金ではないのでお気持ちで、、、。」

よくある会話です。
しかし実際には、500円でお坊さんは絶句し、1000円でため息。
それならせめて「幾らくらいが多いですよ。上下はありますが。」
とくらい言ってあげたら親切だと思います。

本音と建前でお坊さんも人間(欲)ですから泣き笑い。
初めて仏縁を結ぶ方にはきちんと説明して納得する金額をお願いしたらいいと思う。

僧侶派遣は大抵、初回は安く、二度目から段々高くなる。
だから一見さんが多くなる。一見良さそうだが結局、お坊さんとの信頼関係はないまま。
また実力差も半端なくタイミングが合えばいいがそうならないことが多い。

大事な仏事ですから安心して臨みたいものです。
ただお経を読んでもらえればいい、、、?
参考書から引っ張ってきた訳わからない難しい言葉ばかり。
長いから足が痛くて話を聞いている場合じゃない。

仏教の教えはそんな苦しくて辛いものではありませんよ。
人間の論理を遥かに超越した、自我が崩壊され柔らかくなれる道。
お坊さんの勝手な都合に振り回されるなんてそろそろ辞めないですか?
ありがたいで済ませているんじゃなくていかに私がアテにならない生き方なのか
どれだけ自分勝手に生きているのか。
仏さまに背を向け、得することばかりを望みお願いすることにしか徹することがない。
こんなあべこべは真実なる仏さまには通用しない。

盂蘭盆=ウランバナ=倒縣の苦しみ

そんな笑えることではない。人間の知恵を越える苦しみ。
地獄とは痛みがずっと続きます。許してもらえないし、聞いてももらえない。
生前に私(自分)がしたことの報いだから。
死んで地獄に行く私で安心できるのですか?
他人事じゃないよ。明日の自分なんだよ。
施餓鬼=地獄では全てが火に変わり食べることも飲むこともできない。

死にさえすれば勝手に阿弥陀さまが救ってくれる⁈
そんな身勝手な救いなどありませんよ。
阿弥陀さまのご本願(願い)を知らなくてはいけません。

きちんとした仏教の教えを聞く私にならなくては私も先祖もラクにはならない。
おいわれを聞いてみませんか?

普段からお坊さんとお付き合いさえしていればお布施はお気持ちでの真の意味がわかるはず。

今日とも明日とも知れぬ我が命だからこそ、今聞いて安心したいものですね。

貴方のご先祖は今どこに⁈
地獄?天国?墓の中??
それとも、、、。
自信持って答えられる貴方になって欲しい。
それこそが貴方のご先祖が願っておられることだと思いますよ。

 

法名、戒名は死者の名前ではありませんよ

2020/08/03 17:57
残暑お見舞い申し上げてあげます。
長い梅雨雨がようやく明け皆さまの憂鬱さが耳に痛かったです。
さて、いよいよ皆さまのお待ちかねの猛暑ですよ。
もう文句を言わずに謳歌してくださいね。
ただ今年は新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の疫病がセットであります。

日々発表されている新規感染者数は全てではありません。
実際にはその数倍が感染していることをお忘れなきよう。
埼玉県ではたった1400床しか確保されていません。
持病をお持ちの方は油断などしては命取りになってしまうので安易にマスクを
外すことなどないように。特にお仲間と同じ部屋でいる時は熱くてもダメですよ。
命に危険があなたを容赦なく襲いかかります。
彼らも生き残るために必死だから人間の都合などお構いなしですよ。

GO TOキャンペーンなどに浮かれているようじゃいけません。
感染症をあまり簡単に考えてはなりません。甘すぎます。あま〜い!

さて昨今の葬儀で感じることですが無宗教化の中、俗名(本名)で出されたり墓誌にも本名が彫られている。
でも実際にはそれぞれ仏教のご縁をいただいています。
そこで改めて法名、戒名とはどういう意味かをご紹介します。

法名ですが、法名に「釈」字が入るのは死者の名前ではないからです。
お釈迦さまのお弟子に加えていただいたこと。仏弟子の意味です。
お釈迦さまのお話、仏法を聞いて生きていくための僧名です。これは戒名でも死者をお坊さんとして送る為のもの。
「戒名」とは戒律を守りながら修行の道(さとりを求める)意味です。
つまりは仏法も聞かず修行もしない人がつけるなではないのですね。
じゃあ俗名でいいじゃないかと言われそうですが、ここからが大切ですよ。
そもそも私たちがなぜ修行をするかといえば死んだだけで良いところへ生まれることはできないからです。
地獄行きの私です。地獄行きは別称(自業苦)とも言います。私のした悪業、悪行により自ら報いを受ける場所です。
どんなものがあるかといえば、「嘘をつかない」「殺さない」「盗まない」「男女の痴行をしない」「お酒を飲まない」
最低限これくらいは慎まねば救われないと説かれています。
1つでも該当する人は地獄行きの種を撒いていますよ。そんなに甘くはないのよ。手を合わせておけばなど意味はない。
悔い改めることがなくば自らのしたことで自らが苦しむことになるのです。だから自業苦なの。

お盆に地獄から帰ってくるのはこのような所業をして生きた結果です。
でも人間は自分勝手に考えています。だから死ねば仏などと勝手な言葉も作ってしまう。
死ねば地獄(自業苦)なのに。そのようなことで特別にお金(財施)をして長く文字数の多い戒名を付けて供養する。
そもそも在家、修行もしない地獄行きの種ばかりを撒く人を極楽へ仏様にとの思いが今日の状況です。

前置きが長くなりましたが、仏弟子の名前が本来の意味だとはわかっていただけたでしょうか。
まず戒名は、院号道号戒名位号で構成されています。○○院○○○○居士(例)
戒律を授けられた人の意味です。先にご紹介した5つの戒めを守って旅立つ方が師匠(たぶん住職)に戒を授けられ
「あなたは正式に私たち僧侶の仲間です」と送り出してもらう。これが修行の道の仏教ですね。

お坊さんとして死後の世界につけるお坊さんとしても正式名が戒名。普段呼ぶ名が道号です。
位号は基本が「信士、信女」普通の檀家さん。よく仏教を信仰した人の意味です。
中にはお寺に特別な寄付をしてくれた人もいますよね。スーパー檀家さんの意味で「居士、大姉」を付けます。
居士の語源は家に居る人、労働をしないで家にいて仏教や学問に勤める人ですから昔にそういう人はお金持ちな人のことでしょう。
豊かで立派な人=そのためお布施もスーパーになるようですね。
そして院号は居士よりはるかにずっと上の扱いです。院=お寺。「立派なお寺を一軒建てたくらいの功績のあった人」の意味。
スーパーグレードです。人間の見栄も介在するでしょうし、真摯に社会に貢献した人に贈るためにもなるようです。
長く戒名を付けたからと言って良いところへ行けるというのは大きな間違いですから気をつけてください。

その点、法名は仏弟子の意味を基本にしますから死後につけるものではありません。原則ですが生前授与なものです。
仏法を聞いて生きていくために言葉の意味を大切にしながらお念仏を聞く人になることが大切ですね。
俗名、本名で行うことは大切な人を死者として弔うことで死後も苦悩のままに身を置かせ残された私も命の行方を知らずに生きていくことになりがちです。それよりも死者を仏様として拝んでいくとこそ阿弥陀如来の慈悲心を知る良い機会となるように思います。

高い!とか文句を言う人や文句を言う人は本来の意味を無視して自分の都合で仏様のお救いを解釈する愚か者です。
そのような批判があればこそ、平等な他力のお救いが完成され今まさに私に届けられているのでしょうね。
見栄に行くことはやめて、誰もが隔てなく救われていく道を明らかにしてくださった先人を訪ねていく機会を持ってみませんか?

普段からのお寺さんとの付き合いがいかに大切であるか考えてみたいものです。
僕は大歓迎です。

 

あなたのご先祖は何処へ

2020/07/27 10:29
暑中お見舞い申しあげます。
今年は新型コロナウイルス感染拡大と梅雨の豪雨で国難の装いで
手放しで喜べる状況にはないようです。
しかしながら人間とは悲しい。
自分は大丈夫だと勘違いして知らず知らずのうちに謳歌しようと思い
行動していませんか?
特に中年期以上で持病をお持ちの方には是非油断なきよう。

さて盂蘭盆の時期です。
お盆といえばご先祖が帰ってくるという風習があります。
提灯を持ってお墓まで迎えに行ったり、お仏壇に足をつけたナスや胡瓜を
供えたり。ではどうしてそうするのか。
帰って来るのは3日です。帰って来る時は少しでも早く来て欲しいから馬に乗って。
帰る時は名残惜しいから少しでもゆっくりと牛にナスを見立てているのです。

七夕のような世界観でしょうか。
地獄から帰って来るのですか?皆さまのご先祖は地獄行きでしょうか。
地獄へ行っているのに普段はお墓で眠っているのですか?
なんか話がおかしくありませんか?

また夏の風物詩の幽霊やお化け。
昨日(7月26日)は幽霊の日でした。
あの四谷怪談を初めて江戸の中村座で演じられた日。1825年に。
お岩さんで有名ですよね。

皆さま、幽霊とお化けの違いわかりますか?

幽霊とは死んだ人間の霊が現れたもの。
この世に未練があるため成仏できずに、あの世に行けずにさまよう霊(魂)が、生前の人の姿となって現れたものとされています。
恨み、妬み、愛情等の個人的な理由で因縁のある相手のところへ現れつきまとうと言われています。
怖いですね。
お化けとは、幽霊や妖怪など特異なものの総称とされています。
ちなみに妖怪は、人間以外の動物や物から変化したもの。
黄昏時に山、川、海、道、古い屋敷など特定の場所に出るとされています。

死ねば仏と言ったりするのに地獄だったり霊になったり人間って悲しいことです。
そのいわれと仏教の教えを聞く大事な場として大切にして欲しいですね。

マヤカシに振り回されるんじゃなくて。
いい加減なものの見方をしていたら自分の命の行方を知らずに生きていくことになりますよ。

命に関わる感染症を軽視して生きていくよりも、自分の命の行方を明らかにしていこうよ。
その方がどれだけ安心できる生き方ができるだろうか。

どうかこの夏はご先祖が命をかけて指し示してくださった命の行方を訪ねていくことで
不安な今を力強く生きていく道を明らかにして欲しいと願うばかりです。

お念仏を称えて救われるんじゃなくて、疑いなく聞かせていただく中にお救いに包まれていくのです。
是非、普段の生活の中に、ご法事の機会を持つ中にしっかり聞かせていただきたいものです。
合掌称名
 

「国難」という認識を持ちたい

2020/07/08 08:15
人間は無力である。
そして人間は悲しい。

あれだけ大騒ぎしたというのに、緊急事態宣言が解除されたら
今までが嘘のように当たりの生活を謳歌しようとする。
まだまだ新型コロナウィルスが収束したわけではないというのにだ。

その余韻の中、今度は未曾有の大雨特別警報。
五十年に一度とも言われる大雨で川が氾濫。
多くの方々が亡くなり、自宅も店舗もながされ浸水で先すら見とうせない。

濁流が猛威を奮っているにもかかわらずその上の橋を呑気に歩く姿。
これを愚かと言わずになんというのだろうか。
やはり自分だけは大丈夫だと思うのだろうか。

このような事態の中で南海トラフ地震や富士山噴火が起これば気づくのだろうか?
しかし気づいてどうなるのか?

新型コロナウィルスも収束していない。
都内では連日の100人超え。
それでも自粛しないでいます。
それぞれの生活があるのはわかるけどもう少し、、、。

街中ではマスクをせずに笑顔で闊歩する姿に閉口する。
年配者や持病持ちは重症化するというのにその年配者がマスク無しでいる
のだから。
まだワクチンも特効薬もないというのに。

頼りは「自己免疫力」なのです。

だから若年者は感染しても体力があるから重症化しにくい。
それだけだというのに自分も大丈夫と油断している。

給付金や協力金は、本当に困っている人にはなかなか支給されてはいない。
内部に近い人や既得権益者には最優先で支給される。
これも無常世界のありのままの姿どある。
どんなに不公平だといってみてもこれが人間世界の姿なのだから。

実際、私も申請して未だに不備も出ませんとも知らされず支給はされていません。
無い中、それでも生きている。それしかできないから。
なるようにはなるだろう。

出れば支給されたら有り難いとは思う。

今は自分ができることを最優先でやろう。

私の使命は、一人でも多くの方々に真実の願いを聞いていただくことだから。
神仏に背を向けて「自己中」で生きている私に真実の願いに気づいてくれよ
と願い続けておられることをお伝えしていきます。

これが「国難」という認識を持てずに右往左往している
私たちに向けられた警告かも知れませんから。

大雨特別警報や川の氾濫によりお亡くなりになられた方々、
自宅や店舗が被害に遭われた方々、避難され不自由な生活を余儀なく
されておられる方々には衷心よりお見舞い申しあげます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

あるがまま

2020/05/25 10:00
おはようございます。
人の動きが再加速してきたようです。心配です。
だって、皆さん自分の姿が全く見えていないのですから。
どれほどこの感染症が恐ろしいのかがまだわかっていない。
そして何よりも自分は大丈夫。周りだけが緩んでいるなどと言う。
いやいや、外出すると言うことはもう感染しているのに自身の認識がないまま
飛沫として撒き散らしているかもしれない危険性を孕んでいること。
しばらくは良いのかもしれませんが今年の後半にまた大流行するかもしれません。
どうしてか?今すでに南半球のブラジルでは大感染していますよね。季節は日本の逆。
つまりインフルエンザが流行ってくる頃に第二波がやってくるかもしれないのです。

災害も忘れた頃にやってくる!!

人間の悲しさって<忘却>だから。

これからは感染前には戻れないってことを忘れずに生活していく必要がある気がする。
少なくとも持病を持つ僕は出来る限りコロナウイルスに感染しないようにしなくては
命取りとなりますね。油断せずにそれでもなったならそれはそれで受け入れていけるでしょう。

さて、これからのプロレス界を背負って立つ若き女性レスラーがネット中傷で命を絶って衝撃が走りました。
気軽に自分の勝手な言い分をコメントでぶつけて無責任に立ち振る舞う様は日本人もメット社会に大きな影を落としています。
お隣、韓国ではもうどれほど多くの有名人が誹謗中傷で自ら命を絶っているか。
確かに厳しいコメントも必要がとかはあると思いますが、相手を思いやる気持ちがあまりになさ過ぎるように感じる。
もう自分は全部わかっていて時の権力者にでもなった気になっているようなコメントを多く見かけます。

見てきたような、聞いてきたような、バックヤードも全部知っているような気になってバーチャルな世界を本当にように
受け止めて自身の未熟な思いで相手をバサッと切り捨てる。実に愚かです。
だっていいですか?これを自分に向けられたらあなたは受け止めて受け入れるのですか?
無理でしょう?怖くないですか?ましてや22歳の女の子が自身で処理などできるはずがないよ。
いくら台本がないドラマと言っても無いという台本はあるのだから。
実況中継しているわけじゃないんだもの。そしてテレビはスポンサーの意向には逆らえません。
好き勝手にはやれないんだよ。テレビ局も視聴率確保しないといけないからね。
そんな大人の事情もわからずに気軽にコメントしておいて事件になったらコメントを消すってどう言う了見だよ。
恥を知りなさい。

人間はみな裁判官。
他人は有罪、自分は無罪。

お恥ずかしいです。

改めて見ると、世間では皆このように生きています。
自分も宣言解除で街に出てきているのに、周りの人を見て「皆さん、気が緩んでいるように思えますね。」などと
インタビューに答えてる様こそが人間の悲しさ。

僕もこれでも遇う前は、お聞かせいただく前は、自分中心の判決を下して仲間を裁き、後輩を裁き、先輩を裁き、家族を裁き、世間を裁いて生きていました。それに気づいたのは真実なる法の働きに出遇わせていただけたからです。
加害者も被害者も自身の気づきがないだけでもう光に中にあるのですよ。

早く、早く気づかせていただかなきゃ。

死んだだけでは楽にも幸せにも決してなれないよ。
気づかせていただくことができたからこそ、しあわせになれるのですから。

僕のすること、やるべきこと、それは身をかけてそれをお伝えしていくことと認識しています。
思いが空回りするわきの甘い僕だけど。
それが十方のいのちにはたらかれている仏さまの願いですから。

彼女の死が無駄にならないよう、相手を思いられるそんなコメントが主流になっていくことを願っています。
喜劇王、志村けんさんの死によってコロナウイルス感染の恐怖を知り一生懸命生活を改めて生きてきたのだから。
きっとできるはず。
魔法の言葉ですね。

色々教えてくださいます。
命って大切なんだから。

僕は辛くても、僕は最後まで「あるがまま」生きていきますよ。
皆さんもまずは自分からそうしてもませんか?
まだ間に合うよ?
 

心配するな、なんとかなる。

2020/05/17 22:35
とんちの一休さんの遺言。
室町時代を生きた彼はどのような世界観を持っていたのか。
あの蓮如上人とも親友だったみたい。

僕はすぐびびってしまう。自分で決断したことをすぐ後悔する
愚か者だ。

一休さんはこうも言う。
「人は何を成し遂げたかが重要!」

しかしながら、僕は全然ダメだよ。
くだらないことばかり見て人を判断して裁いて生きている。

日本はやれコロナが憎いとか、安倍首相がダメだとか、外にばかり
気持ちを向け自身を省みない。
あれだけ騒いでもすぐ元通りを求める。「今」を見ない。

僧俗ともに、組織の中で出世することばかりにあくせくしてきたが、
一人の個人が「何を成し遂げたか」が重要となる社会への転換が求められている。
「何かに縛られ過ぎないこと」
例えば、それって必要なの?本当にこれって大事なの?
もう必要ないんじゃないの?いや、もっとこうしたらいいよ。

今こそ、真っ直ぐに生きねばならない気がする。
ギャンブルにうつつを抜かすために人間に生まれた訳じゃない。
阿弥陀さまに遇うため、阿弥陀さまに私を寄せて生きていくこと。

それだけのために生きている。それを忘れてはならない。
つい現実の中に振り回されて見失っている。
「お前には今がちょうど良い」のだ。
それを忘れてはならないのに。私に寄せてしまうから苦しくなってしまう。
意味なく必要以上に悩む。意味があるからそうなったんだのに。

魂からあふれるような言葉を本気で語らねばならない。
最後まで情熱を失ってはならない。

もっと本気で生きること。
まだなぜコロナに感染せずに生きれているのか。
たまたまではない。必ず意味があるはず。
今はその答えがわからなくても。

一休さんの言葉が僕に問いかける。

心配するな、なんとかなる。

心配するな、なんとかなる。

皆んなも困った時、苦しい時、思い通りにいかない時、
ぜひ思い出してほしい。

心配するな、なんとかなる。

偉い人が偉いのは、それだけのことを成し遂げたからであります。
私たちが違うのは何を大事にして生きたかなのですね。

一休さんはこんなことも言っていますよ。
「袈裟が有難く見えるのは在家の他力本願」
お前が尊敬されているのは坊主の格好をしているからだ。
お前自身の力ではない。

お恥ずかしいですわ。

もう一度聞かせてもらおう。
地位や名誉、お金、役職、、、。色んな色眼鏡がそこらじゅうに転がっている。

しかしながら人が見るべきは、何を成し遂げたか。何を頑張ったか。
何を考えているのか、どう生きているのか。
その上で、

心配するな、なんとかなる。

まだ僕さ何も成し遂げてはいない。
まだやらねばなるまいか。
許される限りは。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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無難な人生などありません

2020/05/04 18:39
皆さん、今日新たに緊急事態宣言が延長されましたね。
連休明けまでと頑張ってきたとは思いますが感染者が減らないのですから
仕方ありません。本当に辛いですよね。私もこのひと月仕事がありません。
収入ゼロがこの先も続けば活動継続していくことができなくなります。

都市開教は厳しい、難しいとずっと否定されてきました。
でもやりたかった。お寺が無くなる今こそ、教えに遇われていない方がまだまだたくさん
おられる以上、伝えていく必要があります。
苦難の人生を乗り越えて真の救いがあり、どんな命であっても隔てなく願われてある
阿弥陀如来の他力本願をいただいて欲しいと思うのです。

私たちは日々、幸せを求めていきて無難な人生を願っています。
しかしながら無難な人生などあるのでしょうか?
つい半年前、神社仏閣へ初詣に行ってお願いしてきたことは
叶えられたのでしょうか?
嫌なもの。苦難、困難、災難、、、。無難

今回の新型コロナウィルスにより真っ只中にあります。
まさに無難な人生などないことの証明です。

ではどうすればいいか?
幸せと辛い、たった一本欠けただけで意味が真反対になりますね。

無難の反対は?有難!
有り難し。
有難うということですね。

皆さん、日々の生活の中で1日何回、有難うと声にしていますか?
一人では生きれません。多くの方々に支えられてこそ生きていけるのですよ。
不要不急の外出をしない!
これは無難ばかりで有難、有難うを知らない人には通用しない。

私は毎日、豆柴と散歩に出かけお会いする方に挨拶をしますが犬には声をかけてくださるが
私には目も合わせてくれない方がおられます。
縁があればこそご近所に住むお互いだというのに。
このような生き方が今の感染拡大となっている気がします。
私が感染しない、させないように努力しなければ早期の鎮静化には
ならない気がします。
ストレスがたまろうと自分の都合が社会の感染拡大になるかもしれない
想像ができる、そんな行動をしていくことこそ今すべきだと思う。
難が有る私の人生だからこそ、有難うと声にできる私になることから
きっと幸せとなると私は考えます。
南無阿弥陀仏

私たち人間にとって本当に大切なもの

2020/04/28 16:28
皆さまお変わりありませんでしょうか?僕は何とか感染せず奮闘しています。
多くの有名芸能人が感染し私たちに感染は気をつけてもなるしなればこれだけ苦しいものだと教えてくださっています。
それでも人間というものは自分勝手なモノで自分は大丈夫とかニュースでの感染者情報に一喜一憂して行動されています。
未だに検査もできずに自宅待機を余儀なくされていたり、PCR検査で2度陰性となっても再度陽性となる方もいたりします。
ということは知らず知らずのうちに感染者と身近に接しているかもしれない怖さを体感しているかもしれません。
それでも自分は大丈夫だと思ってしまいます。
我慢週間だというのに医療体制の不十分な離島へ旅行しようとしている方が数万人もいるというのは恐怖です。
どれだけ自分勝手で他人の迷惑など感じさえもできない愚か者がこの国には多くおられることが悲しいです。

自分がなる分は自己責任で済まされるでしょうが、家族や見知らぬ人に感染させてしまう危険性があるというのに。
モラルなど通用しない。どこでもすき勝手に喫煙する方未だによく見かけるのと同じ論理でしょうか?
そんなことを思いつつ今日も生きています。

さて私たち人間にとって最も大切なものとは何でしょうか?

それは他でもない自分自身です。

自分自身が心豊かに、もっと品格を高めるように常に努める必要があります。
そこにこそ人間として生きている意味があります。
自分勝手に生きようとする者には日頃よりの生活態度、習慣にこそあると思います。
それは「仏様を拝む中からのみ」生まれてくると思います。
無宗教が当たり前の昨今。
核家族化が常となった今、ご先祖も欲望のままに扱われています。

仏様を仰いでこそ知らされることかもしれません。

私自身がより素晴らしい人生を歩むためには自分勝手な生き方ではいけません。

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人さまは、
「お念仏に生きよ。
 阿弥陀如来さまのみ教えをしっかりと聞きなさい。
 阿弥陀如来さまのみ教えにしたがって人生を歩みなさい。」

仏法など聞いてどうなる。

聞いて見なきゃわかりません。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」(ひかりといのちきわみなき あみだほとけをおがまなん)
礼拝の姿です。

あらゆる人々をお救いくださる阿弥陀さまのお言葉にしたがって、わたし親鸞は苦しみ悩み、不安に満ちたこの人生を生きていきます。
皆さんも私親鸞と一緒に阿弥陀さまを拝みましょう。阿弥陀さまのおっしゃるとおりにしたら、まちがいのない人生を歩むことができます。

阿弥陀如来のお言葉は、わたしにまかせなさい。きっと苦悩のないさとりの浄土に生まれさせてみせますよ。

お任せしていくことができたらこの身のまま苦悩を抱えたまま阿弥陀さまが私の人生をご一緒してくださいます。
生きていくことの喜びや悲しみもご一緒くださる阿弥陀如来さまを心の灯火としてこの感染症の不安を共に乗り越えていきましょう。

不安ばかりではありますがみんなで力を合わせてこそきっと乗り越えていけると思います。
だって先人たちは危機的状況を乗り越えてこられたのですから。
今こうして生きているのにはとっても素晴らしい意味があるのですから。

本当に大切なもの、、、。
それは意外と身近にあるんじゃないかな。
南無阿弥陀仏
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コロナウイルスよりも怖いもの

2020/04/04 21:13
皆さまこんばんは。不安な毎日ですよね。お見舞い申し上げます。
今日ついに東京都での感染者が1日で100人を越えました。
そう遠くないうちに外出禁止令が出されるでしょう。
マスク配布に文句を言っている前に準備できることは今のうちにやっておきませんか?
今ならパニックにより行列に並ぶことも食料が手に入らずに右往左往することもない。

ただ、間違っても人の噂に振り回されることはやめましょう。
だってティッシュの買い占め必要でしたか?
今後もし別に災害が起こったりしたらきっと水や保存食、バッテリーが不足するでしょう。
これくらいは普段から最低限備蓄しておきたいですね。
地震は忘れた頃にやってくるって言うじゃないですか。
水道が止まったらどうしますか?
これからどんどん暑くなりますよ。電気が止まったらどうしますか?
政府に対して不平不満をぶつける前に自身が準備をして置くことはできるんじゃないかな。

テレビをつければいつも画面の中で優しく微笑む志村けんさんがもういない。
当たり前だった光景が当たり前などないよと教えてくれます。
当たり前なのは縁さえ整えば私もいつでも死んでいかないとならないことです。
待ったなしです。
コロナウイルス感染の疑いがあったとしても検査すらなかなかしてもらえない。
その間にもどんどん症状は悪くなります。実際に入院した時にはもう手の施しようがない
そんなことになってもおかしくない。
それだけではありません。コロナウイルス感染者は最後の別れもできない。棺の中に姿を見ることすら
叶わない。火葬してお骨になってからじゃないと対面できないなんて。
とても考えられないけれどこれが現実となってしまうのです。
葬儀関係者も感染リスクがありますので葬儀そのものができなくなるかもしれません。
お坊さんもこれでは仕事も無くなる。
もちろん収入も無くなりますね。
どうするんだろうか。ウチのような体力のないお寺からどんどん無くなってしまうのです。
今までのお寺の論理は全く役に立たなくなるでしょうね。
本当に信頼できるお坊さんだけにニーズが出ていくのかもしれません。
形だけのお坊さん、安いだけでいい、、、。そんな昨今の流れは見直す必要があるはずです。

この悲しみ苦しみに寄り添ってくれるお坊さん。
いつでも相談に乗ってくれるお坊さん。
家族のような安心感があるお坊さん。

こういう世相の中ではきっとまやかしが増えるでしょうが、身近な存在のお坊さんこそ
必要になっていければいいように思うのです。
皆さまと共に歩んでいくお坊さん。
これが超法寺の歩み方であります。

コロナウイルス感染よりも恐ろしいもの。
それは私は死んだらどうなるのかがわからない、そんな生き方をしているあなたです。
「死ねば仏」は嘘ですよ。

人間は仏になるようには生きていませんから。
ここを問わない。気にならない。
死んだら終わり?
死ねば楽になる?いえ、なりませんよ。

せめてここをきちんと解決しておきませんか?

コロナウイルス感染も怖いです。
でも決して避けられない「死」
この解決をした上で生きてみませんか?

お手伝いさせてください。
仏法聴聞する中でこそ解決することができます。

南無阿弥陀仏。
※画像をクリックすると拡大表示されます

有難きしあわせ

2020/03/29 12:02
おはようございます。
おかげさまにて53歳の生誕日を迎えさせていただきました。
思えば27歳でストレスから体調を崩し主治医から43歳で死ぬ!と余命宣告を受け
色々あった中ここまで生きてこれました。何とも有難いことです。
沢山の人とのお出逢いをいただき嬉しいことも悲しいことも苦しいことも今となれば
懐かしいことですね。

いつも阿弥陀さまの手の中でありました。
自分でやってきたのですが自分の力に頼ると失敗ばかり。
それでも見捨てずにいつも寄り添っていてくださったはたらきがここまで僕を進めてくれたのですね。

ずっと両親の庇護のもと生きてきました。
あれほど嫌だったことがこれほど頼もしかったことかと今更ながら痛感しています。
自分で考えやってきたこと、失敗ばかり。
父の凄さを痛感しています。
それでも前を向いていきますよ!
チャレンジさせてくれた両親の思いに応えるためにも。

「有難う」
反対語は「当たり前」

この世に当たり前などありはしない。全て必然であり支えなくしては生きてはいけない。
それを知って生きていくのか、知らずに生きていくのか、大きく人生は変わってしまいます。

以前、某ご法事へ参った際に参列されていた方からこのようなことを言われました。
「ご住職、私は介護の仕事をしていますが、他人の世話をする中でどんな人が大切にされるか
ご存知でしょうか?」
僕は些細な事も笑顔でありがとうと言える人ですか?と言いました。
すると「さすがは仏に仕えるご住職さんですね。その通りで些細な事にも有難う!と声にすることが
出来る人が周りから大切にされるのです。
」と言われました。
日本の方、特に男性はシャイなのでしょうかあまりお礼を言われる人はおられません。
また、経営に携わったり部下を持っていたような方はお礼を言う習慣がなかったからでしょうか、
お礼を口にされない方が多いように感じます。でも人間は一人では生きれないのです。

皆さんは日頃から些細な事でもお礼を言われていますか?
当たり前はないのだから。今日であったのはよほどのご縁があればこそのお出逢いですよ。
知らんぷりして通るより笑顔で挨拶して通った方が人生は豊かになりますよ。
だって相手から知らんぷりされ嫌な怖い顔をされたら嫌じゃないでしょうか。
だったら自分から笑顔で微笑んでみませんか?きっと世の中が明るく幸せになると思いますよ。

さて今後、一体どれほどの人生、時間が残されているかはわからないけど少しでも悔いの残らないよう
精進していきたいです。
阿弥陀さまとまだお遇いされていない方にお伝えしていただいてほしいから。
コロナウイルスも怖いけど今までも人間は乗り越えてきました。
きっと乗り越えるでしょう。
でも、六道の迷いの世界を乗り越える術はいかがでしょうか。
その術は阿弥陀さまの法に依る外はありません。
知らずに生きては勿体ないですよ。

それをお伝えする使命が僕の残りの人生の役目ですから。
この世に僕を産み育ててくれた両親へ感謝しつつ今を生きてまいります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

忘れてはならないものがあります

2020/03/19 12:19
春のお彼岸です。お彼岸は決してお墓参りをする行事ではありません。
お墓参りしてはいけないとは言いませんがませ、それだけでは不十分なのです。

「暑さ寒さも彼岸まで」と昔より言われていますが、先人が大切にしてくれたお彼岸。
仏法聴聞するにはとても良い時期だということです。
では何を聞くのか?
「今を生きる」この命の行方をきちんと訪ねておくこと。
これがなかなか難しい。

今は連日の新型コロナウイルス感染のニュースでマスクが無い、消毒液が無い、と大騒ぎして
お店で暴動まがいの言動を聞く機会が多々ありますが悲しくなりますね。
だって一月半ばまでは普通に買えていたのだから。
何をやっていたの?

ずっとこうやってみんな生きているのですね。
東日本大震災の時はもう
日本は終わった!とまで思ったはずなのに。
いつのまにか忘れて生きているのですよ。

未だに原発は日本中に山ほど稼働を続けています。
ウーマンラッシュアワーの村本さんの地元、福井県には4基もの原発があります。
危険はないの?
神奈川県、横浜市は住みたい都市の上位ですが世界でも最悪に危険な都市であるとも言われている。
知っていますが?
神奈川県横須賀市には何がありますか?
米軍海軍基地があり空母の母校であります。
その空母は「原子力」だということを忘れていませんでしょうか?
事故は起こらないと言えますか?起こったらどうなる?

昨日、今上映中の『Fukushima50』観てきました。
賛否両論あるようですが決して物語ではなく実際にあの日に起こったドキュメント。
津波事故前に地震で大津波が起こったら10メートルでは防げないからもっと高い防波壁を設置するよう
進言されながら過去、そんな大津波が来たことがなかったため却下されていた。

その結果がどうなりましたか?
大津波で福島第一原発はどうなりましたか?

まさか知らないとは言いませんよね?
あのチェルノブイリ原発事故を超える史上最悪の原発事故です。

報道されてテレビで見たもの、バックヤードを事実に基づいて映画となっている。
命をかけて守ろうとした人たち、東京電力本店のお役人、政府の言動。
そう、あの時は自民党政権じゃなかった。
官僚を上手くコントロールできなかったあの党が政権を担っていました。

原発というだけで文句を言い、偏見によって否定する法を取り次ぐ立場のお偉い先生には閉口しますが
彼らも人間=ぼんぶ
真実などありはしません。

私も他を責める心を持つ凡夫です。
あてにはなりません。

でも真実なるものを通して自己の愚かな姿を見ておく。
この映画は日本人としては決して忘れてはならない、避けて通ってはならないもの。
後世に語っていかねばならない事故であると再認識しました。

人間の「慢心」は実に恐ろしい。

マスクや消毒液が無いことも困るがもう一度、今あのような大地震、大津波が来たらどうするのか?を
考えて行動しておきませんか?
南無阿弥陀仏

「弥陀をたのむ」はこちらからお願いすることではありません。

2020/03/11 16:52
「弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたることなり」
(蓮如上人御一代記聞書」註釈版1263ページ

「弥陀をたのむ」とは、阿弥陀仏を信ずることであって、『御文章』をよむと、「たすけたまえとたのむ」
というように用いられています。
つまり阿弥陀仏のおたすけ(救済)を信ずることであって、信ずるとは、すべてを捨ててまかせきることです。

この場合、
すべてを捨てるとは、自己のいかなる行為も知識も、さらに自己の信仰すらも捨てることわさしています。

「身をまるめる」とは、身をまかせるということであって、自己のすべてを投げ出してまかせきるという意味です。

(中略)

弥陀を信ずるとは、南無阿弥陀仏に自己のすべてをまかせきっていることをいうのです。
そこには自己のはからいは無用なのです。
一切を捨てて弥陀、つまり南無阿弥陀仏にまかせきる、それが信であり、念仏の行にほかなりません。

「やさしい法話4」蓮如上人に聞く 瓜生津隆真(本願寺出版社)より

※本日14時46分18秒から9年前を思い出しながら正信偈をお勤めさせていただきました。
あれからよくもここまで生きてこれました。私の歩む道には阿弥陀さまがご一緒くださいます。
今何をするべきかをたずねながらまた今日を生きてまいります。南無阿弥陀仏

失敗ばかりの人生だけれども

2020/02/17 20:29
こんばんは。新コロナウイルスの脅威がヒシヒシと近寄ってきました。
明日は我が身ですから最大限に注意・予防(うがい・手洗い)、マスク着用しましょう。
私は持病持ちですから結構シビアに対処していますが最後はなるようになりますね。
さて先日、林先生(今でしょ)のテレビでのコメントにグッときたので私の経験も踏まえて
お話しします。この五年間は実家を離れ自分の意志ですべてを考え決めて行動してきました。
身軽になって30年間やってきたスキルを生かせば問題なくできる!そう思って過ごしてきました。
その結果、順調にうまく行っているのか?
残念ながらとても自分の力だけで寺院運営が軌道に乗ってなどいません。
どんなに頑張ってみても自分ひとりでやれることなどわずかなものです。
やりたいこと」はまだ浄土真宗の仏縁にお出遇いされていない方にお念仏の頼もしさをお伝え
できていません。それはどうしてなのか。
基本的に生活の基盤が確立されていないこと。独身でひとりのわずかな知恵ではカバーしきれない。
圧倒的に葬儀・法事のお手伝いでしか仕事ができていない。
つまり一時的な収入があっても継続的なものにはならない。寺院の信徒(檀家)が増えていない。
ですから収入が実に不安定なままであります。そんな簡単にはファンは増えません。
今まで全く縁の無かった街に住んで丸四年ではそんなに人間関係も構築されません。
その中でも「笑顔」に出会える機会はとてもしあわせを感じる時間です。
その中で仕事につなげたいと営業で失敗し収入にはつながっていません。厳しいね。
ある先輩がエールの言葉を下さったことが力となっています。
「末田君、大変だろう。バブルの時の都市開教でも大変だったんだもの。でも辛い時ほど阿弥陀さまの事だけを
考えなさい。僕も窮地が沢山あったんだよ。家族を抱えて仕事も無いし貯えも底をついた。もうだめだ!と何度
思ったことか。その度に不思議な事が起こりかろうじて助けていただいたんだよ。不思議としか思えない。
その時ほどずっと阿弥陀さまが・・・。」そう仰ってくれました。
できること」は何だろう。自分らしく立ち振る舞うことしかないかな。
父が見せてくれた「笑顔」がどれだけ人をしあわせにするか。
父もきっと経験したであろうこの現実を。僕も見てみたい世界が今なのか(笑)
昨今は「挨拶」すら忘れてしまっている悲しい時代。
挨拶をするって気持ちいい。相手の温度を感じられる素晴らしいコミュニケーション。
スマホやLINE、SNSじゃ味わえない人間として生まれた喜びを一緒に考えたいのです。
ましてや人生の最後はサヨナラして天国へ行く?そんな寂しい余生じゃしあわせにはなれないよ。
阿弥陀さまの願いに気づけば私の生きる今は「与生」なんだ!
私だけの命。誰も代われない。かけがえのないかがやく命。それに気づけば生き方はきっと変わるよ。
私を産んで育ててくれた方への感謝、お礼は最後まで生き抜くことでしか返せないものだと思います。
生きたってしょうがない?しょうがないかどうかは私が決めるんじゃないよ。
私のいのちが生きたがっているうちは生きてみよう。そこに答えは見つかるよ。
辛い人生も一人じゃないよ。
阿弥陀さまがご一緒ですから。忘れないで。
私はこれを伝えたい。サヨナラして終わっていくあきらめの人生じゃなく、サヨナラしない人生
また遇える人生。二度と別れることのない人生。苦悩を超越していく道。
これに出遇うための私の人生なのだから。
死んだだけじゃ楽にもしあわせにもなれないんだから。
どんなに失敗しても、どんなに見捨てられても、決して見捨てないものがある。
それを伝えていくために私も生きていこうと思います。どうぞお寺にお越しくださいね。
 合掌念仏 南無阿弥陀仏

人間は悲しい

2020/02/03 11:24
2月になりました。つい先日、あけましておめでとうなどと言っていたのにもうこんなに時が過ぎましたね。
昨今は新型コロナウイルスが猛威を振るい連日マスクを買いに殺到する姿がオイルショックのトイレットペーパー
を思い出すようでした。このようにいつの時も人間はやることなすことが変わらないのでありますね。
また、この状況を逆手にオークションでは数十万円もの落札価格が付いていたりもします。
これもいつもの光景です。こうやって価値観やものの見方によって生きる方向も変わっているのです。
人間は、生まれたら必ず歳を取り病にもなり死んでいくのです。
どんなに人生100年時代といってみても「死ぬものなのです」
それぞれ生まれた時から平等ではなく、また「生きる保証書」もありません。
あるのは「いつでも死ねる私」の保証書があるだけです。
それなのに私の生き方といえば、自分だけは大丈夫だと思い込み自分の殻に閉じこもって一瞬の命すら貴重だというのに
無駄にしようとしています。元気なんか一瞬ですよ。若いなんてあっという間。
私は一人で生まれてきたのですよ!
忘れていませんか?生まれながらにして「孤独」なのです。
それなのに孤独を嫌がる。
仲間がいるから裏切られ虐められる。家族もいずれは離れていくのに間違いないと思い込む。
ペットだけは、、、。と思ってもそばにいなくなれば結局忘れられていく。
僕も泣く泣く愛犬を里子に出し2年ぶりに合わせていただいたら最後まで思い出されなかったのです。
あれほど一緒にいたのに。悲しんでいたのは愚かな僕だけでした。
また、ピンピンコロリしたい。長生きしたいなどと思っても長生きしたら結局は他人お世話にならなくてはいけない
寂しさがあります。だってみんなそんなに長生きしていないから。浦島太郎のお話みたいですね。
このように一人で生まれてきた私を一人にしないのは私じゃなく、我が子によって親にならせていただけた。
連れ合いによって、クラスメイトによって、会社によって、、、。一人じゃない私になれたのです。
それなのに自分の都合で、執着によって自ら苦しみ、悩んで、愚痴の私になっているのです。
そのようなありさまを悲しまれたのが仏さまです。
「渇愛」と仏教では言います。
求めれば求めるほど渇いていく、愛はそういうものです。
難しい話になりますが、『大無量寿経』には「人は皆世間の中にあって独生独死独去独来」と書かれています。
人は一人では生きていけません。一人で生きていけないから人間と書くのです。
ですから『大無量寿経』にも人はみな世間の中にあるとあります。

でもやっぱり一人は嫌だ。大切な人を失った時、みんなそう思うのです。
僕自身も子を目の前で失った時そう思いました。半狂乱にもなりました。泣き続けました。
そこで初めて真剣に「法話」を聞いて自身と向き合いました。徹底的に聞きました。
仕事も休み家に閉じこもるのではなくお寺に足を運んで「法話」を悲しみに溺れている僕の中に聞きまくったのです。
嫌になるほどに。京都の西本願寺にも行きました。法話を聞きながら号泣する僕を皆さん驚きながら見ていました。
今では懐かしい思い出です。「執着」という頑固な欲望にがんじがらめになっていた僕を静かに見守っていてくれたのは
他ならぬ「阿弥陀如来」南無阿弥陀仏でありました。
家族ではありませんでした。家族はいつまで泣いているんだ!早く仕事をしなさい!という。
決して間違ってはいませんね。正論だもの。でも僕は悲しくて辛くて仕事なんかしてられない。
あの子は最後に何を思うたのだろうか。気になった。気になると苦しい。
でもその答えは仏法にこそありました。聞くしかない。なぜではなくこの私がために仏になられた阿弥陀如来の言葉を。

そんな時僕には「寂しいときに」の言葉が染みてきました。あの女流詩人の金子みすゞさんです。
ご紹介します。
「わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。
 わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。
 わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。
 わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。」

短い詩ですがとても心に響きます。
永遠の問いです。仏さまの本質は私の気持ちに寄り添い同じ思いでいてくださる。
いつまでも悲しみの底に居続ける私に貴方らしく生きてください。
サヨナラじゃないのだから。私を縁として「仏法」を聞く人になってね。
だってまた会えるのだから。
「倶会一処」

なんまんだぶつ。
これこそが私に死を見せてくれたあなたの願いだから。
(長文失礼しました)

合掌念仏

 

自分だけは間違っていない?

2020/01/24 01:22
令和初めてのお正月からもう早3週間がすぎ例年通りの日々が過ぎています。
そしてニュースを見ていても相変わらずの自分勝手な事故、事件が報道されています。
今や普通になった<煽り運転>は日常的になっています。
それどころか逆煽り運転なるものが登場!前の車がノロノロ運転して後続を煽ると言う。
何がそんなの不満なのでしょうか。

人間の怒りはそんなに長続きしないとも言われます。一説には「6秒」ガマンすればいいそうです。
それなのに煽り運転が後を立たないのは「キレやすい」からなのでしょうか。
若い人ばかりではなく、むしろ年配の方のキレやすい姿や、挨拶をしても知らんぷりする光景を目の当たりにします。
60代以上の方のキレたことでの事件をニュースで見る機会が多いです。

昔はよく「切れ者」決断が速く物事を処理する頭の良い人の代名詞だったけど、今は「堪忍袋の緒が切れる」のキレる
だそうですね。相手の言葉を理解するのが面倒だと言ってキレていく。野球で外国人投手がキレるのと同じで言葉がわからないから
イライラする。相手とコミニケーションを取るのが面倒だからキレるそうです。
ちょっと話せばわかり合えるのにもったいないですね。ましてやそれで傷つけたりすれば取り返しのつかない事態になると言うのに。

され先人の言葉に「忍をもって鎧となす」とあります。
南インドの龍樹菩薩という人の言葉です。(150〜250頃)浄土真宗七高僧の第一祖、インド名ナーガールジュナ。
小乗仏教から大乗仏教に転じ空思想を説いた中観派の祖。大乗仏教の教学の基礎を確立された人です。
この言葉は『大智度論』にあります。
「忍」は忍耐で、忍辱とも言います。この後は「禅定をもって弓となし、智慧をもって箭となし、そと魔軍をやぶり、うち煩悩の賊をほろぼす」と続きます。忍耐は禅定や智慧とともに身を守る武器であるというのです。それによって外からの誘惑や内からの迷いに打ち勝つことができるというのです。「キレて」しまうと後で取り返しのつかないことになりうるので気をつけたいですね。
最近は皆さんドライブレコーダーを装着していますから。
そうドライブレコーダーってこっちの愚痴や文句などの声もしっかり録音されますので警察に提出すると思わぬ恥ずかしい自分の音声を聞かされることも理解しておきませんとなりませんね。
自分は間違いないって思っているかもしれませんが思いの外やらかしているものですよ笑笑

英語に「有難う」という言葉はありません。

2020/01/07 20:28
令和初の正月が終わりました。皆さまにはどのような年末年始をお過ごしだったことでしょうか。
昨年ご縁をいただきました全ての方に感謝しつつ本年も何卒、愚かで未熟な私にご指導、ご教導ください。
さて、新年を迎えるにあたりいつも思うことがあります。
『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」(一休禅師)
正月早々縁起が悪い、、、と叱られそうですが。
生きているとはいつも「死」と隣り合わせの私ですから。
何かあればとかは一切関係ありません。
若いとか元気とか、老いているからとか、病気だからとか。全く関係ありません。
一休禅師の言葉は明確にあらわされています。皆さまも味わってみていただきたいのです。

さて、タイトルの話ですがどう思われましたか?!
サンキューという言葉があるじゃないか!と言われる方もあるでしょう。
しかしながら事実として「有難う」という正確な表現する意味を伝える言葉は英語にはありません。
「有難う」と「サンキュー」はたまたま同じ場面で使われるだけで意味は全く違うのです。
私も最近知ったのですが、日本語の「有難う」は「有ることが難しい」という意味で、
「あなたが私にしてくださったご親切はざらにあるようなものじゃない」という意味なのだそうです。
そこまで考えて初めて「私はあなたに感謝します」という意味の英語「サンキュー」に通じる。
普段から当たり前のように使っている「有難う」にはものすごい意味があったのですね。

仏教では、インドのガンジス川の砂の数ほどの多くの仏さま(諸仏)がお浄土に生まれることを勧めている言葉として、
『そもそも人として生まれることは難しく、仏のお出ましになる世に生まれることも難しい。
その下で信心の智慧を得ることはさらに難しい。もし教えを聞くことができたなら、努め励んでさとりを求めるがよい。
教えを聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそ私のまことの善き友である。
だからさとりを求める心を起こすがよい。たとえ世界中が火の海になったとしても、ひるまず進み、教えを聞くがよい。
そうすれば必ず仏のさとりを完成して、広く迷いの人々を救うであろう。』『浄土三部経(現代語版)』82〜83項

人間として生まれたことの有り難さ、仏陀の教えに遇うことの有り難さが述べられています。
そもそも人として生まれて来なければ仏法にも遇うことができなかったのです。

今年が明けてまだ1週間ほどだというのに既に「人間に生まれた喜び」を忘れてしまっている様が見受けられますね。
実に悲しいことです。今年一年も色々なことがあるでしょう。
どんなに良くないことがないように神仏に願っても、私のこの命が無常である以上、ある中を生きていくしかありません。
しかしながら、仏さまの願いを聞くならば煩悩を抱えながらも温かな大慈悲を仰いで生きていける喜びがあるのです。
それを私自身が実践して、今年もお伝えしていこうと思います。
何卒よろしくお願い致します。

是非、超法寺へお参りください。きっと笑顔のあなたになるお手伝いをさせていただけると思いますよ。
合掌念仏。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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