住職あいさつ

悲しみを越える道それは南無阿弥陀仏
(阿弥陀さまと二人連れの人生を歩もう!)

皆さまようこそ。

「超法寺」は、築地本願寺の首都圏都市開教の50番目の拠点で平成29年5月に埼玉組(埼玉県内の浄土真宗本願寺派寺院の集まり)から承認され、10月2日に築地本願寺安永宗務長ご臨席の下、埼玉県内浄土真宗本願寺寺院の役員さまご出席で法要が勤まりました。

入間市約15万人都市に初めて本願寺派の拠点が出来ました。
あらゆるいのちを我が救いの正面にして慈悲の心を持ちながら「南無阿弥陀仏」と願いをかけ続けてくださるお心を一人でも多くの方にお伝えするべく日々活動しています。

私は東京都墨田区に生まれ築地本願寺、杉並区和田堀廟所には小学一年(2学期)まで、小学3年途中に父の都市開教任用に伴い千葉市へ。中学校(加曽利中学)卒業後、京都私立平安高校(現龍谷大平安)へ。

家族と離れ下宿生活を送りながら昼は仏教コースで学び夜のクラブ活動にもいそしみ、卒業後は花園大学文学部仏教学専攻で「鈴木大拙における禅と念仏の心理的見解」を学び、益永宗興老師や宝積玄承老師より四年間自力の道を学びました。
その中で山田無文老師の著書『中道をゆく』に出会いました。

親の期待に背き禅宗の大学へ進学するというこの四年間が今の私の原動力にもなっています。
ちなみに修行は全く成し遂げられませんでした。

善いことも遥かに多い自我の悪行に比べたらないようなもので地獄(自業苦)へ一直線の生き方です。

実践にて自力は悟りの道で非ず。

他力こそあらゆる命の安穏の道であると確信しました。

両親が切望した龍谷大学ではなく花園大学へ進学したのはまさに僕には必要であったのですね。
(頑固で自分常識な)このような私こそをお救いのめあてにされた阿弥陀様の本願に気づかされていたのでした。

卒業後は中央仏教学院本科で学び西本願寺勤式指導所練習生(お経や作法を学ぶ)を終え実家へ帰えりました。

それから30年間実家寺院で都市開教で菩提寺さまからお預かりした信徒さんや無宗教の方への仏事に走り回り、平成14年からは先任副住職として父(開基住職)と共に伝道活動に邁進してきました。

しかしながら平成26年本堂建立25周年記念法要に際して次期住職継職要請に対し、長年自身の歩むべき道はここで住職をしていくことではなく、ご法義をわかりやすく一人でも多くの方へ届ける布教活動への熱意のために後継を愛妹に託し自身は築地本願寺で一年研修を受け、首都圏へ新たな拠点作りを目指しおかげさまで50歳にして特区専従員任用され51歳で布教所開設して寺院活動を行っております。

人生色々でありますが、阿弥陀様のおはたらきに導かれていたような気がします。

一度きりの人生です。

現実は仕事も無く、僅かな蓄え切り崩す日々。厳しく大変で白旗を何度上げる寸前まで行った事か。
心が折れそうになる事態ばかりですがその度に出逢う方に支えられ助けられようやく一年乗り切れました。

まだまだ厳しいですが、この年なってこれほど人の優しさ、法務をいただけることの嬉しさを感じ大切にしていることを感じたことがあったかと喜びを感じることが一番のしあわせであります。

自身で活動する中で実感したのは、父がどれ程苦労したのか、親鸞聖人が蓮如上人がご苦労なさった少しのことでも体感できている喜び、それをお念仏を称えながら乗り越えていかれたことすべてが有難く嬉しく感じるのです。
お寺の長男として生きてきたのに、こんな喜びを感じて生きてきたのだろうかと反省するばかりです。
今それに気づかせていただけたことを大切にして邁進していこうと思います。

超世希有の正法(南無阿弥陀仏)を人々に伝え、阿弥陀さまを仰いで生きていくことこそ私が実践していくことだと確信し、ここ入間市でお念仏と笑顔と優しい言葉で生きていきます。

「祈る必要のない宗教」、「願いをかけられている私に気づいていく他力本願の道」をご一緒に聞かせていただきながら、不安の中を力強く歩んでいきたいと願って止みません。浄土真宗のみ教えを仰ぐと居場所が無くなることはあり得ませんよ。
どうぞお気軽にお参りください。

何でもご相談に乗りますよ。
皆さまのお越しをお待ちしております。

 

南無阿弥陀仏